笹大輔は、2度の癌手術を経験している。
スキルス性胃癌と大腸癌である。
一度目のスキルス性胃癌の告知は初めての経験から精神的なショックは大きく、その顛末は「命のカウントダウン(笹大輔の闘病記)」に書いた。それはすでに9年前のことだが、実は昨年6月にも大腸癌の手術を行った。以前から良性のポリープがあり、採らなければと思っていたのだが、胃癌摘出後の定期的な血液検査とCT検査をしているので、問題ないかと思っていた。再発を気に留めながらも放置していた。ある時大腸部分に痛みを感じて町病院で見てもらったところ、今思うとシコリによる便秘だったのだと思うが、大腸癌の疑いがあると言われた。
一度目の検査をした結果、大腸癌だが内視鏡でとれるかもしれないとのことで再検査をした。前回の胃癌摘出の影響があり、無難な開腹手術を勧められた。縦長く25cmにもなる開腹手術を二度もするのかと気落ちしたが、仕方ない。担当医の勧めに従った。患者は出鱈目な医者だと心では思っていても、先生の所見に抵抗は出来ない。笹は2度の検査やその対応を見て、以前に受けた獨協大学病院の対応と比較して、かなりいい加減な担当医の姿に、嫌気がさした。セカンドオピニオンとして、病院を変えた。病院の担当医は憤慨していたと思うが、信頼できない思いから仕方ないと思う。
さて、笹大輔は趣味で社交ダンスを行っている。55歳の時にパーティダンスを学びたく、近くのダンス練習所に週二回の頻度で通い、スッカリ上手くなったつもりでいた。実はダンスレベルでは下手でとんでもなかったのだが、ダンス練習所(教室)は、商売であり下手でも関係なくお上手を言い、持ち上げてその気にさせて、商売が成り立っている。今思うと笹は上手に乗せられていたのだが、気づかずにいた。ある時にダンス練習所の毎年行うホテルの周年パーティでプロのデモンストレーションを見て感動した。その美しさを見てもう少し上手くなりたいと思うようになった。それは則ち個人レッスンを意味する。40分の練習で5千円ほどかかるもので、競技ダンスをやる人達が毎週に受けている。それを笹は受けることにした。それからすでに10年がたつ。笹の行っていた仕事が順調だったことが、経済的に功を制した。
今では競技ダンスを行うようになり、パートナーも見つかり、アマチュアながらJDSF(日本スポーツダンス連盟)のスタンダードB級の資格を持っている。B級になってから、コロナ下では、競技会は開催されなかったこともあり、随分と時間が経つ。長年下手ながらもダンス練習を続けていたことから、10ヶ月でB級になった。本格的なダンスのイロハを習ったことはなく、ダンスのテクニックを何も知らずにB級になってしまった感がある。6年も前に先生に教わったことに今になって合点が行く。当時はそのテクニックに納得がゆかず理解できなかった。それが、今になって分かるようになったのだ。不思議な気持ちがする。
ここからが本題に入る。最近の笹は、物忘れが激しい。良い例が携帯電話である。出掛けになると必ずどこにある、探し回る。ちょっとした前の記憶が飛んでいるのである。それが進んだと言えるのが、認知症である。60歳の還暦になった時に自動車の自爆事故が幾度も起こりそれまでの自分の感覚が壊れたのを知った。自動車保険の免責が無くなり、割引率が無くなってしまった。それが少し落ち着いて今は、75歳の後期高齢者になろうとしている。
2025年スーパージャパンカップダンスが、幕張メッセで開催され、それに参加することにした。参加種目は、スーパーシニア・ボールルームと言う。アマチュアが一番参加しやすい競技だが、どうせ見に行くなら参加した方が良いとのことで、ペアとの思い出のダンス歴にしようと参加を決めた。素晴らしい大会に流石にプロというのは、また、日本のトップの競技者たちは、これ程に技量が異なり高いのかと驚いた。東北県勢のナンバーワンが、からっきし通用しないのだ。二日間も見ていてこれ程に中身がある競技会を見られることに極上の贅沢を思った。しかし、その反面とんでもないことが起こっていた。1日目の午後もひと段落したことから、近くのレストランに行くことにした。時間にして3時から4時の1時間であるが、こぎん刺しの財布入れポーチと携帯電話をバラで左手に持ち、出かけたのだが、イベント会場に戻ってみて携帯電話がないことに気が付いた。エッと何度も探したが、見当たらない。その1時間の自分の行動を振り返ってみるのだが、ボンヤリとしていて、思い出せないのである。レストランとトイレ、デイリーヤマザキに寄ったのだが。
良く、認知症の人が、忘れないように冷蔵庫やいろんなところにやるべきことを書いて貼り付けると聞くが、ちょっと前の記憶が思い出せないのである。これが、ボケ(呆け)であると確信した。ペアからは散々に小言を言われた。「ダンスに通販のビジネス、歴史塾(近現代史の歴史勉強会)の3つを掛け持ちし、殆どどうしようもない状態にあるのではないの。」家のこと、娘夫婦のこと、勿論先の述べた3つのことが上手くゆかずに家庭も問題を抱えている。「二進も三進もゆかない状態で、何を他人事の歴史塾を行っているのか」と。「75歳を過ぎたら人のことなど構わずに終活に入りなさい」と。
流石にこのことは、笹には堪えた。携帯電話は、22万円もするもので、4年かかり返済する金額物、それが紛失した。その後になり、それを受け取った者が携帯を開いて見ていることが分かり、戻らないだろうと確信するに至った。幸い翌日になり、最寄りの交番に紛失届を行った。また、携帯電話のキャリアのサポートセンターに連絡を取り、携帯電話を止めてもらい、紛失届の保険に入っていたところから、明日には、同型の機種が届く段取りが出来た。不幸中の幸いである。この度のボケ(呆け)が、明らかになったことで、良い経験をしたと思っている。
「老い」は必ずある。あるいは来る。いろいろな食や生活様式から、それを遅らせることは出来るかもしれないが、それを避けることは出来ない。私はそれを認め受け容れようと思う。明日から「老い」を認め、生活しようと思う。
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