この春先のコロナ禍から、社交ダンスの練習を辞めて7週間になる。
栃木県の非常事態宣言で、ダンスの練習場が、ダンス協会指導で中止となった。
週4日は、ダンス練習で過ごしていたのだが、コロナの感染懸念から辞めざるを得なかった。週の1日は、教室の個人と団体レッスン。更に1日、2日をペアの練習、そして、1日をダンスパーティだが、それぞれ、4時間から6時間を費やす。5分も踊ると汗が滲んで来るのだから、それは随分の運動量である。
週4日は、ダンス練習で過ごしていたのだが、コロナの感染懸念から辞めざるを得なかった。週の1日は、教室の個人と団体レッスン。更に1日、2日をペアの練習、そして、1日をダンスパーティだが、それぞれ、4時間から6時間を費やす。5分も踊ると汗が滲んで来るのだから、それは随分の運動量である。
その環境では、コロナに何処で移っても可笑しくはない。
妻の病気は肺疾患と膠原病なのだが、妻は感染したら一発で遣られる基礎疾患と心配している。私自身は問題ないと思っているが、私も感染すると死亡の4番目に来る癌経験者である。
自粛要請がこれほどに長引くとは思っていなかったが、先日体重を測ると65kgから67kgまで2kg増えしかも体の動きが鈍ってきた感じがする。社交ダンスの競技で今年A級昇級を目指している自分は、いつまでも練習せずに遊んでいるわけにはいかない。
家から歩いて10分ほどの所に樹齢のある杉と椚林、そして、ツツジの植生された、散歩には格好の公園がある。共墾社公園と名付けられ、石蔵が2か所あり原野から畑を作った際に集められた丸石が、山に積んである。4、5年前までは、毎朝飼い犬を連れて散歩し公園で体造りをしていた。腕立て伏せや柱へのプッシュ、縄跳びと腹筋運動を遣った。
私担当の犬が亡くなり、犬との散歩ではないが、朝の運動を遣ることにした。
今朝は、天気も良く格好の散歩日和、体作りにでかけた。
妻の老婆犬ココとの散歩の時間が重なり、お互いに家の鍵をもって出た。
妻の病気は肺疾患と膠原病なのだが、妻は感染したら一発で遣られる基礎疾患と心配している。私自身は問題ないと思っているが、私も感染すると死亡の4番目に来る癌経験者である。
自粛要請がこれほどに長引くとは思っていなかったが、先日体重を測ると65kgから67kgまで2kg増えしかも体の動きが鈍ってきた感じがする。社交ダンスの競技で今年A級昇級を目指している自分は、いつまでも練習せずに遊んでいるわけにはいかない。
家から歩いて10分ほどの所に樹齢のある杉と椚林、そして、ツツジの植生された、散歩には格好の公園がある。共墾社公園と名付けられ、石蔵が2か所あり原野から畑を作った際に集められた丸石が、山に積んである。4、5年前までは、毎朝飼い犬を連れて散歩し公園で体造りをしていた。腕立て伏せや柱へのプッシュ、縄跳びと腹筋運動を遣った。
私担当の犬が亡くなり、犬との散歩ではないが、朝の運動を遣ることにした。
今朝は、天気も良く格好の散歩日和、体作りにでかけた。
妻の老婆犬ココとの散歩の時間が重なり、お互いに家の鍵をもって出た。
老婆犬ココは、2匹の犬が亡くなった後に娘が連れてきた黒のラブラドル系のミックスで、大人しく優しい犬だった。年齢は推定で15歳ぐらいになるが、若いころは敏捷で、一度首輪から紐を外し逃げ出し、相手は遊んでもらっていると思ったのか、捕まりそうになると身を翻して更に逃げた。なかなか捕まえられずに閉口したが、30分も追いかけてやっと捕まえた。
そのココだが、今はヨタヨタと歩き、運動の為に妻が引き連れている。
妻が先にでたが、追いつけずにその姿は見えなかった。
私の歩き方は、蹴る力を付けるために早足の蹴り脚の歩き方になる。
ちょっと歩くとすぐに汗がにじみ、普段は歩いてゆく公園ではないが、あっという間に到着する。公園内にあるハローワークは、窓が大きな建物でその窓が大きな鏡となり、その前でエアー縄跳びをする。数日前から始めているので、今日は体も少し馴れて300回を跳ねる。
私の歩き方は、蹴る力を付けるために早足の蹴り脚の歩き方になる。
ちょっと歩くとすぐに汗がにじみ、普段は歩いてゆく公園ではないが、あっという間に到着する。公園内にあるハローワークは、窓が大きな建物でその窓が大きな鏡となり、その前でエアー縄跳びをする。数日前から始めているので、今日は体も少し馴れて300回を跳ねる。
その後にせなかを意識し体重移動をおこなう。ダンスは、背中で踊るというほどに背中のラインは、大切である。アイススケートもバレーも、舞踊は、体のラインの美しさを表現するもの。それには、体幹や股関節が重要な働きをする。この体の動きが、コツと言える。長年、中学から、成年までテニスを遣ったり、スキーを遣ったりしたが、この体の仕組みを知っていたら、もっと上達しただろうと思う。
まだ始めたばかりなので、無理して遣りすぎないように心掛けた。
凡そ30分近くが過ぎ、同じ道を、蹴り足を意識してもどる。
町内に入り途中で分かれ道があり大谷石の石塀に沿って右に曲がる。
そして、すぐ角の家を左に曲がると路地のはるか先に妻とココの姿が小さく見えた。
老婆犬をあとに従えゆっくりと歩く妻の後ろ姿だ。
その姿を見た途端になぜか懐かしく思えた。
遠目でもオー脚に湾曲した脚と草臥れた後ろ姿に直ぐに妻だとわかる。
小柄で真直ぐに立つ姿格好が母親とますます似てきた。
最近は一緒に歩くこともなく、このような景色を見たことはなかったからか、懐かしい。
ちょっと前には、二匹の雄の犬がいて妻との二人とで午後の落ち着いた時間に公園まで毎日のように散歩した。妻は中型犬のダグーを連れてゆっくりと歩き、私は力の強い秋田犬風の五郎を連れていた。
決まって、公園内に入ると直ぐ左にある太い丸太のベンチに座り、犬たちも心得て休んだ。
ダグーはベンチに乗り、五郎は、私の脚の前に腹ばいとなり休んだ。その頃は、ゆったりとした時間が流れていた。今思うと私達夫婦と二匹の犬との甘露の時間だったと思う。一度、近所に住む時折見かける名も知らない女性が、柔らかい団子餅を犬達にくれた。五郎が、その餅を歯に引っ付かせ、驚いて前脚で取ろうと慌てていた姿に笑ってしまった。ダグーは、前脚で抑えて、上手に食べていた。
その二匹の犬が老齢から相次いで亡くなり、二人の散歩は途絶えた。
先に五郎が逝き、次いで1年後にダグーが、逝った。
まだ始めたばかりなので、無理して遣りすぎないように心掛けた。
凡そ30分近くが過ぎ、同じ道を、蹴り足を意識してもどる。
町内に入り途中で分かれ道があり大谷石の石塀に沿って右に曲がる。
そして、すぐ角の家を左に曲がると路地のはるか先に妻とココの姿が小さく見えた。
老婆犬をあとに従えゆっくりと歩く妻の後ろ姿だ。
その姿を見た途端になぜか懐かしく思えた。
遠目でもオー脚に湾曲した脚と草臥れた後ろ姿に直ぐに妻だとわかる。
小柄で真直ぐに立つ姿格好が母親とますます似てきた。
最近は一緒に歩くこともなく、このような景色を見たことはなかったからか、懐かしい。
ちょっと前には、二匹の雄の犬がいて妻との二人とで午後の落ち着いた時間に公園まで毎日のように散歩した。妻は中型犬のダグーを連れてゆっくりと歩き、私は力の強い秋田犬風の五郎を連れていた。
決まって、公園内に入ると直ぐ左にある太い丸太のベンチに座り、犬たちも心得て休んだ。
ダグーはベンチに乗り、五郎は、私の脚の前に腹ばいとなり休んだ。その頃は、ゆったりとした時間が流れていた。今思うと私達夫婦と二匹の犬との甘露の時間だったと思う。一度、近所に住む時折見かける名も知らない女性が、柔らかい団子餅を犬達にくれた。五郎が、その餅を歯に引っ付かせ、驚いて前脚で取ろうと慌てていた姿に笑ってしまった。ダグーは、前脚で抑えて、上手に食べていた。
その二匹の犬が老齢から相次いで亡くなり、二人の散歩は途絶えた。
先に五郎が逝き、次いで1年後にダグーが、逝った。
本当に家族同然の犬が、あっという間に逝ってしまう。二匹とも病気から1カ月ほどで、食べられなくなり、横たわり痩せ細ってゆき、最後は、のた打ち回ることもなく、何も言わずに逝く姿は、切ないものがある。
いつも楽しかった当時の二匹の犬との話が妻の口をついで出る。散歩のときや庭仕事で妻との楽しいやり取りの事でした。犬達にとっては、いつも暖かくそして、怒りながらも面倒を見、死ぬ一カ月間は、本当に下の世話をも嫌がらずに介護してくれた妻は、素晴らしい女性と思う。
そんな妻の犬との姿を見るのは、久しぶりだ。
その後ろ姿は、彼女の過ごした時間を現わしている。
いつも楽しかった当時の二匹の犬との話が妻の口をついで出る。散歩のときや庭仕事で妻との楽しいやり取りの事でした。犬達にとっては、いつも暖かくそして、怒りながらも面倒を見、死ぬ一カ月間は、本当に下の世話をも嫌がらずに介護してくれた妻は、素晴らしい女性と思う。
そんな妻の犬との姿を見るのは、久しぶりだ。
その後ろ姿は、彼女の過ごした時間を現わしている。
人は生まれ、幼少期を父母や家族と過ごし、成人し異性と出会い、親元を離れ、自分の巣をつくる。その人生は、幸か不幸かは人それぞれだが、誰しもが誰しもの人生を歩む。
私と彼女との出会いは、遥か昔のイタリアのベニスに始まる。ドイツ文学に憧れて、ゲーテの町デュッセルドルフに滞在しヨーロッパに旅し、私との邂逅がある。
彼女は、子どもが小さな頃は小柄で可憐な女性だった。シッカリとした意志を持ち、色々な夢を持っていたが、どれ程の夢がかなったのだろうか。今は年老いた。
犬を連れてゆっくりと歩く。
疲れるともう長くはないと呟くようになった。
彼女は、子どもが小さな頃は小柄で可憐な女性だった。シッカリとした意志を持ち、色々な夢を持っていたが、どれ程の夢がかなったのだろうか。今は年老いた。
犬を連れてゆっくりと歩く。
疲れるともう長くはないと呟くようになった。
悲しい響きの言葉だ。
庭仕事や洗濯で遠目に見かけるその時の顔は、決して晴れやかではない。
悲しい思い出に詰まった顔に見える。
私自身の鏡に思える。
私自身の鏡に思える。
彼女を幸せに出来なかった、私のせいだと思う。
私も言葉こそ出さないが、同じような思いでいる。
私も言葉こそ出さないが、同じような思いでいる。
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