チャイナエッグの言葉に出会ったのは、いつだろうか。
営業を経験した者は「チャイナエッグ」の言葉は知っていると思う。
今ではいつだったかも思い出せないが、ブライダルで婚礼情報から夜討ち朝駆けをしていた頃だったかと思う。
お客様の中にはお愛想がよく、訪問すると「お茶を飲んでげや。」といろいろと話が弾む方がいたが、契約にはならない人がいる。心中では、結婚式を申し込むつもりはさらさらないが、営業マンはその応対から期待して通う。
営業マンの行き先がないときはつい足を向けてしまう。
チャイナエッグは、鳥に卵を産ませないために温めさせる偽物の卵のことだ。
ブライダルの営業は、キツイ。
獲るか獲られるか一発勝負になる。
ホテルのブライダルには、客層がある。
地元のブライダルは、客単価が段違いに低い。
営業の殆どが空振りになる。
それでも婚礼情報があれば、営業としては訪問せざるを得ない。
断られることが続くとさすがに滅入ってくる。
那須高原は、眼下に那須町、黒磯市、西那須野町、黒羽町、大田原市等を見る農村地帯になる。一部核となる行政機関もあるが、農村都市と言えた。
当時の調理長から食文化という言葉も聞いた。
系列のホテルに伊良湖ビューホテルがあるが、恒例のクリスマスのバイキングでは、一人7,000円のチケットを4日間のイベントで数千枚を販売する。
それを那須ビューホテルでは、3,500円のチケットを1カ月かけてやっと数千枚売る。
半額のチケットだが方や倍の金額のチケットを数日間で埋めることができる。
これが、食文化の違いという。
渥美半島は換金作物の宝庫になる。
朝早くから畑に出て朝食は喫茶店でモーニングを取るという。
電照菊や渥美メロンの産地になる。
お金持ちの農村地帯だ。
那須高原でのホテルブライダルは、食ならぬ文化の違いと言える。
それをおなじ土壌で人情力を使い地元のブライダル会館と競争しようとしていた。
当時そんな経済法則も分からずに営業をしていた。
自分がブライダルの営業に抜擢されたのは、入社して2年目になる。
経理のベテランの少し年上の方と自分が人事案に上り、営業支配人が自分を推薦してくれたという。当時は営業企画を担当していた頃だが、ホテルがブライダルに力を入れた頃になる。根っからのホテル婚礼を担当していた者がいたが、上司と折り合いが悪く急遽やめて地元の婚礼会館に転職したが、その後釜になる。
それまで営業などやったことは一度も無かった。
何をどうやったらよいか分からないが、自分なりに戦略を考えて他事業所のことも聞きながらスタートした。
誰も教えてはくれなかった。
ゼロからになる。
見よう見まねでお取引先の業者から聞いた話を参考にした。
社員から婚礼情報を募り夜討ち朝駆けの営業を始めた。
もともと粘り強い性格からそれなりに婚礼を獲得できた。
ホテル社員の縁故だったり、広告チラシからの飛び込みだったりだが、随分と獲得できた。
情報を得てゆくと初めからホテルで上げることが決まっていた。
自分の営業力というよりも初めからホテルで結婚式を挙げたいお客様だった。
それでも巷では、ビューホテルのOOは、凄いと話題になった。
4年ほどブライダルを担当したが、200組近いご婚礼を担当した。
大安吉日の日曜日や祭日には、昼と夜もあり3組ほど担当することになる。
上司の指示でフロントの者に担当をお願いすることになったが、引継ぎが難しかった。
それでも合間に依頼した披露宴会場を覗きみた。
アシスタントとして、同じ営業部の者に担当アテンドを依頼することにもなるのだが、ブライダルのきめ細かな手配は、一朝一夕には理解されないので、取りこぼしとなる。
頭から自分の売上実績にならないと身を入れて担当をしない若者もいた。
ミスをしても自分は指示されていなかったと豪語する。
困惑した。
こちらは司会者の近くにいて常に進行をチェックする。
披露宴会場のFB担当者と打ち合わせをするのだが、スケジュール通りには動かない。
調理から、現場から控室、新郎新婦のお色直しの際の担当者への確認と身の休まることはない。
当然だと思うが。
しかし、もう一人のブライダル担当者は、殆ど現場に任せていた。
私にはあれほど打合せをしても失敗をする現場を見ているとチェックせざるを得ないのだが、太っ腹なのだろうか。
それといって、クレームになることはなかったようだ。
何か御呪いがあるのだろうか。
彼は、営業のプロと言えるほどのキャリアを持っていた。
コツを持っていたのだろう。
「田中理事長」のなかで、自分は営業向きではないことに触れた。
チャイナエッグは、気持ちの弱い自分には良く分かった。
物件を獲るという強い気持ちで当たれずに時間を費やしてしまう。
理屈で営業を行っていた。
戦略を講じて、目標達成を図った。
那須でも出向先の津軽でもあぶくま洞でもレジーナの森でも営業を担当した。
実績は、営業向きの性格に企画力が掛け算となるからだろう。
当時の那須事業所の営業部支配人となり、那須事業所と東京宇都宮の営業部の組織を任された。営業マンが、30人程はいた部署になる。
僅か数か月で津軽に飛ばされたけれども。
理由は、「鉛味の人事」に書いてある。
ホテルの営業マンは、海千山千の強者が多い。
私から見ると信じられないほどに出鱈目な者ばかりがいる。
朝礼後に事務所を出ると営業をせずに一日中、ブラブラしている。あるいは直行直帰で事務所に顔を出さない。
日報だけは、架空の内容で提出する。
営業チラシは、捨ててしまう。
当然実績は出ないけれども、半年や1年間は時間を稼げる。
同様に同じ頃に東京にいた営業マンを後に部下に持つ機会があった。
当時は全然面識はなかった者だが、日報では1日3件程度の訪問先しか記載されていなかった。実績も出てこなかった。自分は、疑うことをしなかったが、あまりに酷いので問い質すことがあった。あとで他の彼を知る者から、彼はその類の営業マンだったと聞いた。
ある時は、東京の営業部長肩書の者が、競馬か競艇のギャンブルの使い込みで事故破産して辞めていった。いつも事業所の会議では、強気の格好いいことを言っていた者だ。
当時私がフロントの課長時に私の相応しくない行動を営業会議で取り上げ非難をされたことがある。事業所のGMは恥をかいた。彼には仲間意識など一欠けらもない。
人を責めることでカモフラージュをしていたのだろう。
もう一つは、自分が那須の企画担当の折にダンス企画を立案し東京の一営業マンに提案したことがある。そして、東京営業部や他の宇都宮、仙台の営業部にも連絡をして集客を依頼した。
しかし、その話を独り占めし彼一人で進めていた。
他の誰もが知らない話になっていた。
実際は宇都宮所長も仙台所長も知っていた筈だが。
那須の営業部上司も知っていたが、何のフォローもしていなかった。
現地の営業会議でその話題が出た時は誰も知らぬ存ぜぬの態で、有耶無耶になった。
これほどに出鱈目な組織が営業部組織だ。
シティホテル事業所のブライダル担当者が使い込みでクビなった。2千万円位の金額だったろうか。そんなことが聞こえてきた。自分もブライダルで500万円をこえる金額を幾度か直接集金したことがある。振込んでくれればいいのだが、直接という方も中にはおいでだった。
営業マンが着服する可能性はあるけれども私は真面目で通っていたからか端から問題視はされなかった。
那須の事業所で副総支配人までになっていた名物男がいた。
誰しもが知る個性的な人だったが、辞めていった頃には生活が火の車だったのだろう。
退職後に新しく務めたホテルの支配人になっていたが、負債から首が回らなくなっていたようだ。旧知のホテルの者達に借金の声掛けをしていた。
1週間で返すからと5万円や数万円の金を貸してくれという。
彼のその話は出回っていた。
私にも来たが態よく断った。
それでも人の良いのは断れずに貸していた。
当然に戻らなかった。
口先だけでできるホテル営業という職は、それだけ誘い水が多い職場になるのだろう。どこかで道を踏み外す。
見た目が優男で口が上手く格好よく振る舞っていれば、世間体は誤魔化せる。
いつも思うホテルマンの7割は、出鱈目だと。
営業では、チャイナエッグの話は五万とある。
お付き合いから八方美人から勿論当たり前の話だ。
そして、営業マンの話も決して信じるべきではないと。
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