いつも夕食後に孫を見送る。
娘が遅くに勤めから戻り夕食を取り9時頃に孫をつれて帰るのが日課になる。
今日は、倉庫の屋根の上に月はなく、暗い夜空に星が大きく揺れて瞬いていた。
そういえば天気予報で寒の戻りの話をしていた。
天上は、かなり冷えて風が強いのだろう。
娘が遅くに勤めから戻り夕食を取り9時頃に孫をつれて帰るのが日課になる。
今日は、倉庫の屋根の上に月はなく、暗い夜空に星が大きく揺れて瞬いていた。
そういえば天気予報で寒の戻りの話をしていた。
天上は、かなり冷えて風が強いのだろう。
娘が、帰り支度で車を掛け、子どものチャイルドシートの準備をしている。
孫が、私の胸に抱き着きながら星と言えずに「ひー様がいっぱい。」と話し、空を見上げている。
強い風と揺らめく星明りの中、孫と娘の車の出発するのを車から離れて見送る。
強い風と揺らめく星明りの中、孫と娘の車の出発するのを車から離れて見送る。
一瞬、中学生の頃に付いていった地元の男若衆の火振り漁を思い出した。それは、真っ暗な闇の中でカンテラの灯りに照らされた鮮やかな若衆の顔や水面の魚影だった。
火振り漁は、暑い夏の風物詩、決まってお盆の頃に行っていた。
お盆は家を出たものが都会から戻り賑やかになる。
火振り漁は、暑い夏の風物詩、決まってお盆の頃に行っていた。
お盆は家を出たものが都会から戻り賑やかになる。
私の育った小字の集落は、5軒ほどの農家だった。部落には、大字で30軒ほどの農家と数軒のお店や自転車屋があった。子どもながらにいろいろな村の行事でそれぞれの家や小部落の人々を知っていた。皆、屋号と名前で呼び合い、「上の○○ちゃん」や「○○家の誰それ」と呼ぶ。我が家は、上と呼ばれ、当然、下もあった。建前やご祝儀では、村中が集いそれぞれに個性的な旦那衆や婦人達がいた。酔うと喧嘩っ早い人や狡く評判の悪い人も。彼らは、呼び捨てにされていた。また、道普請や土木関係の知識を持ち仕事の指図のできる人は、○○先生などと呼ばれ尊敬されていた。
火振り漁には、5軒の家の若衆と隣集落の気心の知れた幾人かが、参加した。
今日は火振り漁だというと日中にカンテラの準備をし松明にする枯れ竹をいくつも束にしていた。
カンテラは足元を照らし移動するのに容易だけれども、魚のいる場所では、明るさの強い松明が自由に操れて役に立つ。
日中に束ねた松明用の竹を適所に運んでいた。
そう言えば、その日は二つのグループだった。
出発こそ一緒だったが、声掛けあっていたが、徐々に遠く離れ幾つかの堀の漁になり、そのまま分かれて終わった。
燃料のカーバイトは、強い青白い閃光と独特の匂いを放つ。
カンテラは足元を照らし移動するのに容易だけれども、魚のいる場所では、明るさの強い松明が自由に操れて役に立つ。
日中に束ねた松明用の竹を適所に運んでいた。
そう言えば、その日は二つのグループだった。
出発こそ一緒だったが、声掛けあっていたが、徐々に遠く離れ幾つかの堀の漁になり、そのまま分かれて終わった。
燃料のカーバイトは、強い青白い閃光と独特の匂いを放つ。
アセチレンガスが、シューという音を立てて噴き出し、その独特の臭いは、直ぐにカンテラを思い出させる。
私はカンテラを持つ役を仰せつかっていたのだが、田圃脇の水が満々としている堀川の水面を照らせという。堀の淀んだ広い場所に雑魚が群れて静かにジッとしていた。
カンテラに照らされ、雑魚(ざこ)の群が灯りの中をゆっくりと移動する。
大きな雑魚が数十匹も群れていた。
日中に見る魚は、逃げ足速く人から見えるところにジッとしてはいない。人の気配を感じるとすぐに淵や川岸の垂れ下がった篠笹の暗い繁みの中に隠れてしまい姿を見せることはない。
若衆は、カンテラに照らされた雑魚をヤスで突いて捕る。
どうしてそんなことができるのかと思うほどに器用に、そしてあたり前に突いていた。
若衆の中の顔の効く者が、決まって上手かった。
私はカンテラを持つ役を仰せつかっていたのだが、田圃脇の水が満々としている堀川の水面を照らせという。堀の淀んだ広い場所に雑魚が群れて静かにジッとしていた。
カンテラに照らされ、雑魚(ざこ)の群が灯りの中をゆっくりと移動する。
大きな雑魚が数十匹も群れていた。
日中に見る魚は、逃げ足速く人から見えるところにジッとしてはいない。人の気配を感じるとすぐに淵や川岸の垂れ下がった篠笹の暗い繁みの中に隠れてしまい姿を見せることはない。
若衆は、カンテラに照らされた雑魚をヤスで突いて捕る。
どうしてそんなことができるのかと思うほどに器用に、そしてあたり前に突いていた。
若衆の中の顔の効く者が、決まって上手かった。
当時は、下の延ちゃんが、そうだった。
頭もよく、喧嘩も強く、農家を継いで直ぐの頃だった。
私の兄や弟は魚捕りが得意で上手く突いていたが、私はついぞしたことはなかった。
性格の向き不向きだと思うが、自分では捕まえることもできないのだが、魚が可哀そうに思えていた。
一度だけの経験だったが、暗い田圃の畦道を連れだって付いて歩き、カンテラと松明の灯りに照らされた若衆と魚影の群れが、鮮やかに脳裏に残っている。
当時は今とは違う時が流れていた。
もう半世紀以上も昔のことだ。
父や近所の若集が、30代の頃の村の人々との付き合いが日常だったあの頃はもう戻らない。
今は、農業自体がなくなり村人も勤め人となり火振り漁もなくなった。
あの魚がいっぱいいた堀は、構造改善事業でなくなって久しい。
思い出の残る田圃や畦道や堀はなくなり、区画整理された殺風景な水田が広がる。
当時は、鰻や雑魚の川魚がご馳走だったが、今はスーパーに何でも揃っている。
そして収入も増え生活が変わった。
火振り漁の言葉も死語となる。
性格の向き不向きだと思うが、自分では捕まえることもできないのだが、魚が可哀そうに思えていた。
一度だけの経験だったが、暗い田圃の畦道を連れだって付いて歩き、カンテラと松明の灯りに照らされた若衆と魚影の群れが、鮮やかに脳裏に残っている。
当時は今とは違う時が流れていた。
もう半世紀以上も昔のことだ。
父や近所の若集が、30代の頃の村の人々との付き合いが日常だったあの頃はもう戻らない。
今は、農業自体がなくなり村人も勤め人となり火振り漁もなくなった。
あの魚がいっぱいいた堀は、構造改善事業でなくなって久しい。
思い出の残る田圃や畦道や堀はなくなり、区画整理された殺風景な水田が広がる。
当時は、鰻や雑魚の川魚がご馳走だったが、今はスーパーに何でも揃っている。
そして収入も増え生活が変わった。
火振り漁の言葉も死語となる。
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