最近は、ブログとホームページのメンテナンスに忙しくしていました。
私のwebsiteは、伝統工芸品の通販です。
そのことで常に訴求力のある文章を意識していました。
しかし、文章書きは自己流ですので限度があります。
中学校の卒業記念文集「やみぞ」には、題は思い出せませんが、随分と長い文を書いた記憶があります。大学のテニス同好会でも文集を出すことになり、夏休みを田舎で過ごしましたが、その間に400詰め原稿用紙7枚程にダラダラと書いたように思います。
それを読んだ友人が、長くて草臥れたと言っていました。
10年程前に長年勤めたホテル会社を定年からリタイアし、次の仕事としてwebsiteの通販を思いつきました。
写真撮影と文章は、結構よく出来たと思います。
写真は、デジカメのオートフォーカスで、枡形の罫線が入り左右上下のバランスが簡単にとれるようになっています。
ホームページの文章は、何も考えず思うがまま書いていました。
ブログも同じレベルといえるでしょう。
小学校の幼馴染が私のホームページを見て「よくああいった文章が書けるね。」と感心していました。自分は何も考えずに書いていたので、「そうか!」と驚いたほどです。
数年前にDRM(ダイレクトレスポンスマーケティング)メソッド(手法)を知り、アピールする文章、お客様へのプレゼンテーションを学ぼうとしました。
いくつかの本を購入しブログやfacebookを駆使する戦略を導入しました。
しかし、その後は忙しく頓挫しています。
それでも、常に文章力を磨くという課題は継続していました。
数カ月前に小説家の方の商品を通販で、販売することになりました。その方の経歴紹介から19年間師事した師が居られたことを知り、その師を書き綴った著書を読みました。
書くことに厳しい方でした。
私には、その方のご指摘がよく分かりました。
自分の理解がどの程度かは、わかりませんが、左脳的な理解だと思います。
しかし、小説は観察眼が文章になったもの、それは右脳的なもので、観察眼と表現力が自分にあるのかどうか分かりません。
次いで頂戴した師の書いた「私の小説教室」の心得10か条も読みました。小説が左脳的な手法で書けるのなら書けそうです。
私は、若かりし時の旅先で書き留めたスケッチから油絵を描くと幾度も言葉にしていましたが、一度もキャンバスに向かったことはありません。
妻に「俺は、小説を書けるよ。」と話し鼻から笑われました。
妻は「小説は身を削って書くものだ。」と言います。
そうかも知れません。
嘗て一度も小説を書こうとも書けるとも思ったことはありませんでした。
しかし、いま書いてみようと思います。
ブログとホームページ、そして、英語版ページでも文章力が必要となります。
通信販売の販促のDRM手法が骨格になり、それに魅力的な文章力が求められます。
ひいらぎ日記は、散文形式のエッセイです。
電子書籍化のことも脳裏にありますが、趣旨は私の文章力を磨くためです。
駒田信二の心得10箇条を突き詰めて推敲して書きます。
ひいらぎ日記のタイトルは、テレビドラマの夢千代日記や平安時代の更級日記、蜻蛉日記から「日記」にしました。
兼好法師の徒然草に似た名では恐れ多く思います。
ひいらぎは、葉が八角形に尖っています。
初めて見る、葉は丸いものと思っていた子どもには不思議な木の葉でした。
母の実家の生け垣に柊の木があり、時折白い花が咲き赤い実をつけていました。
子どもの頃にバスが通るたびにその柊の垣根越しに遥か下の街道を走るバスを見ていました。
「ひいらぎ」の語感の良さと子どもの頃の母の実家で過ごした思い出から、ひいらぎ日記としました。
しかし、小説は観察眼が文章になったもの、それは右脳的なもので、観察眼と表現力が自分にあるのかどうか分かりません。
次いで頂戴した師の書いた「私の小説教室」の心得10か条も読みました。小説が左脳的な手法で書けるのなら書けそうです。
私は、若かりし時の旅先で書き留めたスケッチから油絵を描くと幾度も言葉にしていましたが、一度もキャンバスに向かったことはありません。
妻に「俺は、小説を書けるよ。」と話し鼻から笑われました。
妻は「小説は身を削って書くものだ。」と言います。
そうかも知れません。
嘗て一度も小説を書こうとも書けるとも思ったことはありませんでした。
しかし、いま書いてみようと思います。
ブログとホームページ、そして、英語版ページでも文章力が必要となります。
通信販売の販促のDRM手法が骨格になり、それに魅力的な文章力が求められます。
ひいらぎ日記は、散文形式のエッセイです。
電子書籍化のことも脳裏にありますが、趣旨は私の文章力を磨くためです。
駒田信二の心得10箇条を突き詰めて推敲して書きます。
ひいらぎ日記のタイトルは、テレビドラマの夢千代日記や平安時代の更級日記、蜻蛉日記から「日記」にしました。
兼好法師の徒然草に似た名では恐れ多く思います。
ひいらぎは、葉が八角形に尖っています。
初めて見る、葉は丸いものと思っていた子どもには不思議な木の葉でした。
母の実家の生け垣に柊の木があり、時折白い花が咲き赤い実をつけていました。
子どもの頃にバスが通るたびにその柊の垣根越しに遥か下の街道を走るバスを見ていました。
「ひいらぎ」の語感の良さと子どもの頃の母の実家で過ごした思い出から、ひいらぎ日記としました。
エッセイとしてこのまま書いていくのがいいでしょう。
返信削除黒髪、父のことは部分的に印象的です。
もうすこし先で、整理したほうがいい点に気づくでしょう。
加地さん、講評を有難うございます。
返信削除シンプルな文章がすっきりしてよいように思っているのですが、それで良いでしょうか。駒田信二の心得十か条をもとに見直しています。
後で読み直すと書き直したほうが良い箇所が、見えてきます。
お粗末な文章で厚かましく思っていますが、よろしくお願いいたします。
このコメント欄は冒頭欄にしかないのですか?
返信削除タイトルごとに付けたらいかがでしょう。
コメントがしづらいので。
返信削除郷の字を見ると思い出すことがある。
確か中学2年の時だと思うが、学年1位の彼と私とが何か職員室の仕事を手伝っていた時に先生が、彼に郷という字で良の上に点が付くかどうかを訊いていた。
★ 中学2年の時、級友と二人で先生の手伝いをしていた。放課後の職員室に他の先生はおらず、十個ほど並ぶ空いた机が西日を受けていた。
*その場が見えるように書く。午前、午後? 職員室の広さは? 机の数で学校の規模がわかる等。
★学年一位の級友に先生が、郷という字は良に「、」が付くかどうかを訊いた。
私は付くかどうか思い出せずにいたが、彼は正確に付かないと答えていた思う。
★ 私は付くかどうか迷っていたが級友は「付かない」ときっぱり答えた。
どうして彼に聞いて、私には聞かなかったのかが不思議に思えていた。
きっと、先生は答えを知りたかったわけでは無かったのかと思う。
彼の答えを諮っていたのだろうと。
★どうして先生は私には訊かないのだろう。私はそのとき不思議に思った。
きっと先生は答えを知りたいわけではなく、学年一位の級友を諮ったのだろう。
*答えを知りたかったのではないと思ったのは、筆者の現在か過去の当時の思いかがわかりにくい。現在、過去、大過去の時間をわかるように書く。
有難うございます。
返信削除情景が見えるように書くということですね。
後、文章がクリアになるように。
やってみます。
お忙しいことろ有難うございます。
コメント欄は、投稿ごとになるかどうか、見てみます。