2020年6月20日土曜日

隣家の母子

最近は隣家のことが話題に上る。
隣家には70代後半の女性と30代前後の母親、そして3人の子供がいる。子どもはおとなしい5、6歳の男の子と年子だろうか賑やかないつも母親に叱られている男の子。そして、一昨年生まれたばかり女の子だ。その女の子は我が家の孫よりは少し年上に見える。
そして、もう一人40代の男性が別棟に同居している。 老女は、その母親を孫だと言っていたが、そのようにも見えなかった。
私達がこの家に越してきたのは、20年ほど前になる。私たち夫婦と娘そして犬のダグー、一家3人と一匹のペットの所帯だった。その頃のダグーは3、4歳で幸せだった。
私が1畳ほどの犬小屋を大工仕事で作り、妻との朝夕の散歩があった。晴れた日には下半身のお股を全開して庭で寝そべっていた。庭仕事が好きな妻は日中を庭木の剪定や草取りに過ごすが、妻はこれほどに安心しきった無防備の犬がいるのだろうかと笑っていた。その内にもう一匹の大型犬を娘が拾ってきて2匹のわんことなった。雄二匹は修羅場になるが、その話は別に譲るとして、ペットと我々は穏やかな生活を送っていた。 
その後直ぐに古くからいた隣家のご家族が引っ越していった。当時小学生だった末の男の子が、いつも虐められて泣いているのを覚えている。今では、もう高校生位になっているだろう。
しばらくしてその後に入ったのが、若いご夫婦だった。もう5、6年ほど前になるが、姿を見たことはない。元居た一家から、今度その夫婦が入居するという話があった。朝から晩まで明るく笑っている女性の声が窓を通して聞こえてきた。その内に赤ん坊の泣き声が聞こえた。しかし、子どもも若い母親の姿も見ることはなく、声だけが聞こえてきた。我々は別段気にもせずにいた。1、2年経った頃だろうか、また赤ちゃんの声が聞こえてきた。多分二人目が生まれたのだろうと話していたが、又しても姿は見えない。
そのうちに70代の御婆さんが越してきて、出会った際にご挨拶ができた。その若い母親は御婆さんの娘の子で孫だという。ある時妻が、御婆さんから男が働かずに娘に金をせびっていると、愚痴を聞いて来た。そして、数年前からどうも3人目の子どもがいると思われた。
3人の子どもをう乳母車に載せ、大通りを押している姿を見かけた。大通りで少し大変に思え気になった。そんなことから、今は祖々母と母親と子ども3人の所帯のようだ。父親だと思われる男性は、今はいるのかどうかも分からない。男の姿はなく、誰が父親かもわからなかった。
今ひとりいる男性は、聞こえてくる話しぶりから、父親ではないようだ。隣家ではあるが、母親とは話をしたことはない。 
私の住む班は11軒ほどで、他に6室のアパートと班に入らない隣家と、先にもう2軒がある。最近新しく一戸建てのアパート4軒と駐車場が造られている。コロナ禍の最中であるが、建設は順調に進んでいる。
最近町内の話題になっているのが、隣家の子どもたちのこと。近所の方や町内に来る車、郵便屋さんのバイクに、隣家の2番目の男の子が、飛び出してきて纏わりつく。皆危なくて車を動かせなくて困っている。私も一度、子どもたちがオムツひとつで出てきて、トウセンボをされて驚いた。母親とお婆さんがいるようなのだが、出てこない。誰かわからないが、幾度か本気に怒っている声を聴いた。それでも、家の奥に母親は居るはずなのだが、ウンともスンともない。一度大通りの向こう側にあるお店に、オムツだけの裸に近い姿の子ども達3人が行き、警察沙汰になったと聞いた。最近市役所の車を、時々見かけるようになった。若い女性職員が、玄関口で母親と話しているようだが、埒が明かないようだ。
長男はもう学校に行く年齢だと思う。子どもの小学校入学で来ているようだが、どうなっているのだろうか。
母親は昨年の秋頃には、朝から晩まで歌を歌っていた。異常なほどに甲高い声で歌っていた。ときおり夜中に大きな声で、携帯で話しているのが聞こえてくる。子どもに構っているようには見えない。
子どもの衣類の洗濯物も見えないし、食事はどうしているのだろうか。調理をしているようには見えない。風呂に入っている様子も見えない。子どもは貰い物のような、一目で古着とわかる衣類を着ている。見すぼらしさが見える。薄汚れた布団と毛布が、ゲートに毎日干されている。どの子か分からないが、寝小便をしているのだろう。
最近は歌声は聞こえなくなったが、朝から晩まで次男の子を怒鳴っている。それも子どもに言う言葉ではない。ひどい言葉遣いだ。その度に子どもは甲高い声で泣いている。長男の男の子の声は殆ど聞こえない。
次男が車のトウセンボをしている時でも、脇からジッとして見ている。賑やかな次男に対して、長男は発達障害ではないのかと、心配してしまう。育児放棄の言葉が浮かぶ。
若い母親は構わないので、御婆さんが見ているのだろう。背骨が曲がり殆ど動けない体だが、子供たちを看ている。二番目の男の子は言うことを聞かない。今では、杖で男の子を叩いているようだ。その度に悲鳴を上げて泣いている。 
妻は犬の散歩の度に、子供たちが出て来やしないかと気を付けている。犬が好きで良く出てくるからだ。3番目の女の子は愛情に飢えているのだろう。妻が何かで手を差し出すと、直ぐに寄ってきたという。二番目の男の子も愛情に飢えているのがわかる。けっして異常な子ではない。少し元気なだけだ。トウセンボの時も確りとした目で私を見据えていた。 
妻と近所の婦人たちとで、その隣家のことで話すことがある。井戸端会議だ。
彼女たちは皆車で一度や二度は、二番目の男の子にトウセンボをされたことがあるという。
母親に何とかするように玄関まで行くのだが、出て来ないという。御婆さんに伝えるが、どうしようもないようだ。近所に母親の実家があるようだが、両親は来たことがないという。御婆さんは実家の長男夫婦と折り合いが悪く、この娘孫の所に転がり込んでいるようだ。若い母親は家族にも見放されているのだろう。
思いもかけずに初孫に恵まれた私は、孫がかわいくてしょうがない。若い母親と両親との確執があったとしても、孫への愛情は誰しもが持つ気持ちと思うのだが。私たちはついぞ両親を見たことがない。両親とのこの若い母親との間にも、同じようなことがあったのだろうか。孫が生まれれば、放っておけないだろうと思うのだが。ときおり見かけれる3人の子供たちは、可愛らしい子ども達だ。 
誰が子ども達の父親なのかはわからない。姿を見ないし、まして子を抱く父の姿は。
噂では、ヤクザではないかという。一緒に暮らせないヤクザの子を3人も孕まされて、こんな生活をしているのだろうか。子ども達は似た顔つきだから、父親はおなじだろうと思う。妻との話は想像の域を出ない。親は子を選べない、そして子も親を選べない。この言葉は、良く聞くが、この親子を見ていてつくづくと思う。この子ども等を何とかしたいが、如何ともしがたい。我々にはどうもできないと思う。ときおり泣き叫ぶ声に心が裂かれる。市役所も手を焼いている母子を、隣家の者であってもどうすることも出来ない。 
同居している男性が、朝早く出て深夜11時ごろに戻ってくる。この男性は何なんだろうか。子ども達を抱いたり遊んだりする姿を見たことはない。仕事一辺倒だからだろうか。父親ではない。若い母親とは知り合いのようだ。時は過ぎこの子等も大きくなる。どのような子に育ってゆくのだろうか。どのような大人になってゆくのだろうか。まともな環境で育っても人は危ういのに。まして、子どもの頃にこのような生活を送る子は、どうなるのだろうか。まともに育ったとしたら奇跡だと思う。
私の幼馴染に父親が酒癖が悪く、飲むと直ぐに酒乱になる家族があった。その父親は御婆さんから可愛がられて育ったと聞く。弁が経ち優秀な方だったと思うし、叔父から聞く何人かの子供たちは、会社で出世して文武両道に秀でていたと言う。しかし、私の同級生は心優しい男の子だったが、中学校でぐれてしまい、その後に何処に行ったかも分からなかった。とうに忘れていた時、彼の訃報を聞いた。葬式は田舎で済ませた。40歳そこそこで飲みすぎから体を壊して早死にをした。年老いた母親から事の次第を聞いた。タクシーの運転手をしていたという。同居の女性はいたようだが、子どもや家族は居なかったようだ。まともな人生は送れなかったのだろうと思う。私には何年たとうが、親しい子どもの頃のままの彼だったが、他の同級生たちは彼を良くは話してなかった。葬式の席で彼の悪口を話し、せせら笑う彼等に違和感を覚えた。子は親を選べない、そして親も子を選べない。「宿命」と言う。
隣家の子ども達を特に2番目の男の子を見ていると、その言葉が重たく響く。最近聞いた話では、若い母親のお腹には子どもがいるという。4人目の子になる。最近親しく見える同居人が父親だろうか。子どもを堕す知恵があれば、このような生活は送らないだろう。人にはそれぞれの人生がある。神様はよくぞシェークスピアのような劇画を描く。神様の悪戯に思える。

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